高橋 建(パワプロ2019 実在 2009年)
高橋建
横浜高等学校-拓殖大学-トヨタ自動車-広島東洋カープ (1995 - 2008)-ニューヨーク・メッツ (2009)-広島東洋カープ (2010)
2009年成績 28登坂 0勝1敗 2.96
メジャー時代の高橋です。
2009年3月30日にニューヨーク・メッツとマイナー契約。その後傘下AAA級バッファローで6試合に登板、11回2/3を投げて防御率0.77を記録。4月26日、メジャーに初昇格。5月2日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で2番手としてメジャー初登板。40歳でのメジャーデビューは第二次世界大戦以降ではサチェル・ペイジの42歳、ディオメデス・オリーボの41歳に次いで史上3位の高齢記録となった。6月22日、マイナーのAAA級バッファローに降格。8月24日にメジャーに再昇格するものの、10月20日にはメッツから契約を解除された。(wiki完コピ)
査定
パワプロメジャー2009に能力がなかったのでパワプロ2010の初期デフォと当時の記事を参考
- 対左F
デフォでも左は2だった。記事からも左打者に打たれたとあるのが複数あったため。
- 先発
デフォには無いが、マイナーで先発したと書かれている記事があったため。
- ミート多用
こっちのミスですすいません…
余談
高橋「健」ではなく高橋「建」
間違えると「けけけ健ちゃうわ!」とか、山崎「呼んだ?」みたいに返すのがお約束だったそうで。(ニコニコ大百科情報)
最近の再現選手について
カープ選手が多いのでこれからは他球団の選手もやろうかなと。
まぁ
多スギィ!勝男だったからね、しょうがないね。
これからもよろしくオナシャス!
なお明日あげる予定の選手は広島在籍経験者です。
お楽しみに~
鈴衛 佑規(パワプロ2019 実在 通年)
鈴衛佑規
兵庫県立伊丹西高等学校-広島東洋カープ (1996 - 2006)
ご存知由宇の妖精。
1995年ドラフト6位で広島東洋カープに入団。4年目の1999年に、代走で一軍デビュー。捕手として守備も1イニングだけであるが経験した。
しかしその後はその他のキャッチャー達に抜かれ、一軍に上がることなく二軍にとどまり続けた。
…とここまでなら普通のプロで芽が出なかった選手。
ところがここから鈴衛は脅威の残留を見せつける。
2003年、白濱が入団するも
鈴 衛 残 留
04年、西山退団、瀬戸引退にともなう捕手不足がチームの懸念となり
鈴 衛 残 留
05年は二軍で代打兼抑え捕手として活躍し、打率も3割5分以上を記録していた。その好調ぶりを買われ、6年ぶりに
鈴 衛 昇 格
プロ10年目で初めて一軍ネクストサークルに立つも一軍には出場せず二軍落ち。
そして戦力外かと思われたがドラフト候補にいい選手がいなかったため
鈴 衛 残 留
しかし2006年。遂にその時はやってくる。
鈴 衛 戦 力 外
そして
鈴 衛 引 退
悲しいなぁ…
プロ12年間での、通算成績は出場試合数2、打席数0、通算打率―(0-0)であった。
しかし鈴衛が引退発表後、カープのオンライングッズショップで、鈴衛のサインボールや背番号Tシャツなどの売れ行きがにわかに伸び始め、ついには売り切れとなったそうだ。
記録より記憶に残る選手だった。
査定
- 走力
一軍で初めて出たのは当時のパワプロで走力D判定の前田智徳の代走なので足はまぁまぁあると判断。
しかし二軍の成績を見ると盗塁も少なく二塁打もそこまで。
なのでD後半に。前半かE後半かも。
盗塁は二軍成績からそこまで上手くないと予想。
- チームプレイ◯
鈴衛の一日
5:00 起床 調理場で2軍寮の朝食を調理師の方たちと作る。
6:00 涼しい内に2軍グラウンドの草むしり
8:00 調理師の方たちと食事して皿洗い。
9:00 若手の練習を手伝う
11:00 球場へ出発
12:00 球場の食堂で皿洗い。チケットもぎり。
13:00 ウェスタンリーグの試合。ブルペンで球を受ける。 五回終了時にグラウンドのトンボかけ。
16:00 試合終了。グラウンド整備。白線引きはプロレベル。
17:00 2軍寮へ戻る。調理場に駆け込み、夕食作りの手伝い。
18:00 夕食。選手達の食欲をチェックするのも仕事だ。
19:00 片付け。掃除。その後、若手の練習を手伝う。
21:00 外国人選手に困ったことはないかと電話。
22:00 練習機材の手入れ。
23:00 消灯。各部屋を回り、布団をかけ直したり、冷房のチェック。
24:00 就寝。
これはチームプレイ◯
- 人気者
引退したときのグッズ売り上げから。
明石 健志(パワプロ2019 実在 2017年)
明石健志
山梨学院大付高 - ダイエー(ドラフト4巡目・04) - ソフトバンク(05~)
2017年成績 .279 1本 23打点 5盗塁
鷹のユーティリティープレイヤー。
2017年のシーズンでは4月29日の対オリックス戦で、死球の影響で欠場した柳田悠岐に代わって、一軍公式戦では初めて3番打者に起用された。8月15日の対オリックス戦では、3打点を挙げる活躍で、レギュラーシーズンにおける福岡ソフトバンクホークスとしての通算1000勝達成に貢献。試合後には、チームを代表して、単独でヒーローインタビューを受けた。途中から出場した9月23日の対楽天戦で走者として帰塁の際に右手親指を痛めたが、レギュラーシーズン全体では、一軍公式戦103試合に出場。8月26日の対ロッテ戦で自身2年振りの本塁打を放つなど、チームの2年振りパ・リーグ優勝に貢献した。
査定
デフォから少し変更。
- メインポジション
デフォは三塁手(一番高いのは二塁)ですが、一塁の出場が多いので一塁手で。
- 対左F
右… .293
左… .208
- チャンスB
非得点圏… .264
得点圏… .333
- 肩
完全にこちらのミスですすいません。
デフォでは44なので変えないはずだったんですけど…
ミスりました…
木佐貫 洋(パワプロ2019 実在 2012年)
木佐貫 洋
巨人(2003〜2009年)-オリックス(2010〜2012年)-日本ハム(2013〜2015年)-巨人(2019年〜)
2012年成績 2.60 5勝9敗
トレードでオリックスへ行って三年目。
シーズン初登板となった4月8日の対楽天戦で4安打完封勝利をあげると、4月15日は一昨年かなり苦手にしていた西武相手に7回途中1失点の好投で、連勝スタートとなった。ところが、4月22日の対日本ハム戦で9回1失点の完投負けを喫したのを皮切りに打線の援護に恵まれず白星から遠ざかる。6月6日の対ヤクルト戦で一塁ベースカバーに入った際に、左太もも裏肉離れを発症して翌日一軍登録を抹消。
7月13日に再登録されると、3試合の救援登板を経て、オールスター明けに2試合連続完投勝利をあげる。その後も先発投手としてシーズン終了までローテーションを守り抜き、防御率2.60、QS率66.7%と先発投手としての責務を果たしたものの、力投しても味方打線の援護に乏しい試合が多く、5勝9敗に終わった。
(ここまでwiki完コピ)
査定
ほとんどデフォと変わりませんが、スライダーとシュートの変化量を変えました。
山田 真介(パワプロ2019 実在 2006年)
山田 真介 1979年6月15日生まれ
上宮高等学校-読売ジャイアンツ (1998 - 2006)-広島東洋カープ (2006 - 2007)-阪神タイガース (2007 - 2008)
2006年成績(巨人・広島時代通算) 28試合 .262 0本 0打点 2盗塁
俊足強肩の外野手。
巨人時代は広い守備範囲を持っていたが、打撃力不足で活躍出来なかった。
2006年にカープにトレード。
6月13日に中堅手として初先発出場、6月16日の北海道日本ハムファイターズ戦で移籍後初安打を記録。9月末からはチャンスメーカーとして起用され、10月11日のヤクルトスワローズ戦では自身初の1試合4安打をマークした。同年は13試合に先発を果たす。
その後は阪神にトレードされるも活躍出来ず戦力外。
現在はジャイアンツアカデミーアシスタントコーチらしい。
査定
チャンスF…得点圏.154
対左B…右投手 .222 左.400
チャンスG対左Aでも良かった気がする。